2026年5月21日(木)

《無料公開中》<タコ博士水産奮闘記>1 中東シリア?いや尻屋

タコも大笑い?の「しりや」違い
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 昨年3月、再任用も含め43年間勤務した青森県職員を退職した。

 大学を卒業後、青森県職員に採用され、1982年4月に、当時の青森県水産増殖センター(現青森県産業技術センター水産総合研究所)に配属された。

大失態からスタート

 陸奥湾沿いの平内町小湊の割烹(ぽう)で歓送迎会が開かれ、宴席で大学落語研究会出身らしい自己紹介がウケたことに気をよくし、注がれるまま飲んでいたら、つぶれてしまった。別室で横になり下宿に送ってもらうという大失態。これが社会人のスタートとなった。

 3年間、海草部に所属し、海藻類、ウニ、アワビの研究に従事したのが水産の仕事の始まりになる。85年に下北の事務所に異動し、3年間、水産業改良普及員となった。「普及員」は国の制度で、現在は普及指導員と呼び、当時25歳で、青森県内ではかなり若い普及員として、いろいろな調査に関わった。

 当時、大学時代の仲間うちで「恭成はどうやら中東のシリアに行っているらしい」といううわさが立った。中東?シリア?全く身に覚えがなかったが、どうやら東通村の尻屋(しりや)と中東のシリアが混同されていたようだ。今も大笑いの語り草になっている。

マルチな現場仕事

 88年から4年間、水産増殖センターほたて貝部で、ホタテの天然採苗、養殖管理全般を担当した。陸奥湾の漁業者といちばん接点があった時期だろう。92年から5年間は、日本海沿岸の鯵ヶ沢町にあった水産試験場で、秋サケとミズダコの資源管理を担当。この時の下北の津軽海峡沿岸のミズダコとの出会いが、20年後の学位論文の主要なデータになる。

 97年の38歳の時に県庁の水産行政部門に異動して、最初の5年間は資源管理を、次の2年間は、企画部門で「何でも屋」として仕事をこなした。ヒラメの資源管理では、青森県が全国一厳しい全長35センチ規制としたことから、さまざまな問題が惹起(じゃっき)し、八戸市のカレイ刺網漁業では、混獲によるヒラメ小型個体の漁獲が避けられないことから、早朝の家族総出の網外し作業中に何度も訪問し、互いに解決方法を話し合った。その後、水産行政の責任ある立場で経験するクロマグロ資源管理で直面したこととは、全く似たような経験になる。大型クラゲの大量出現やトドによる漁業被害対策、米軍機墜落対応など、常に大きな課題に直面してきたのを思い出す。(つづく=随時掲載)

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