2026年5月22日(金)

伊藤裕康伝

2026年5月13日

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 社長の裕康ら「中央魚類の第二世代」が船出した時、築地市場の卸7社で中央魚類(株)が売上高でトップだったものの、不動というほどほかの社と差は開いていなかった。 就任後、間もなくは経営問題よりむしろ、…

2026年5月1日

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 船凍部の出身で市場の外で仕事をする時間が長かった裕康は後年、「勢いのあった昭和40~50年代当時の築地市場の中の様子をあまり知らない」と正直に話している。それでも常務取締役に昇格後は大物部や塩干部…

2026年4月21日

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 北商事件の後始末中の1981年に中央魚類(株)の船凍部部長に就任して営業の最前線で活躍していた頃の裕康は、積み重ねてきた実績から出世競争でトップを意識するところにいた。 父・春次は日本冷蔵(現ニチ…

2026年4月17日

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 裕康は1972年に自身最初の管理職である船凍部船凍1課長になったあと、76年に船凍部次長、77年に船凍部副部長、翌81年に船凍部部長と、中央魚類(株)の順調な成長と歩調を合わせるように昇進の階段を…

2026年4月8日

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 平社員-部課長時代の裕康にとって、数ある冷凍商材の中で最もなじみが深かったのが、カズノコの原料となる抱卵ニシンだ。 抱卵ニシンとの関わりの出発点は、「ヤマニブランド」としてカズノコ業界で不動の地位…

2026年3月26日

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 会社人として裕康が確固たる実力を身に付けたのは、妻・美代子と結婚した1962年から初管理職の船凍1課長になる72年の頃だ。この時期は上司の島崎與志雄に散々しごかれた。とにかく島崎の指示に食らい付く…

2026年3月25日

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 すぐに東京と名古屋の遠距離恋愛となってしまった裕康と美代子だったが、2人は約300キロの距離差をものともせず、愛を育んでいく。 水曜休市が定着した現代からは考えられない話だが、当時の卸売市場は毎月…

2026年2月27日

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 東京・港区日ヶ窪にあった中央魚類(株)の寮から、仕事が始まる深夜に築地まで移動する新入社員が取り得る現実的な手段は自転車やバイクしかなかった。自転車に乗れなかった裕康は、同期入社でのちに副社長にな…

2026年2月25日

 【訂正】20日付3面、「伊藤裕康伝(7)」の記事中、伊藤春次氏が中央魚類(株)の「2代目社長」とあるのは「3代目社長」の誤りでした。おわびして訂正します。

2026年2月20日

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 立教大で学生会長時代に兼務した、学生新聞編集長としての取材や広告受注を手掛けたことの面白さが心に強く残っていたらしく、就職活動の当初は新聞記者になりたいと思っていたようだ。しかし、学生運動をやり過…

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