伊藤裕康伝
2026年4月8日
平社員-部課長時代の裕康にとって、数ある冷凍商材の中で最もなじみが深かったのが、カズノコの原料となる抱卵ニシンだ。 抱卵ニシンとの関わりの出発点は、「ヤマニブランド」としてカズノコ業界で不動の…
2026年3月26日
会社人として裕康が確固たる実力を身に付けたのは、妻・美代子と結婚した1962年から初管理職の船凍1課長になる72年の頃だ。この時期は上司の島崎與志雄に散々しごかれた。とにかく島崎の指示に食らい付く…
2026年3月25日
すぐに東京と名古屋の遠距離恋愛となってしまった裕康と美代子だったが、2人は約300キロの距離差をものともせず、愛を育んでいく。 水曜休市が定着した現代からは考えられない話だが、当時の卸売市場は…
2026年3月12日
裕康の会社員人生を大きく変えたのは、のちに専務取締役まで昇進する上司・島崎與志雄との出会いだった。再び営業に異動した当時、遠洋漁場の船内凍結品を販売する母船冷凍課の課長が島崎だった。1961年の水…
2026年2月27日
東京・港区日ヶ窪にあった中央魚類(株)の寮から、仕事が始まる深夜に築地まで移動する新入社員が取り得る現実的な手段は自転車やバイクしかなかった。自転車に乗れなかった裕康は、同期入社でのちに副社長にな…
2026年2月20日
立教大で学生会長時代に兼務した、学生新聞編集長としての取材や広告受注を手掛けたことの面白さが心に強く残っていたらしく、就職活動の当初は新聞記者になりたいと思っていたようだ。しかし、学生運動をやり過…
2026年2月19日
学生会会長・裕康の活躍は、長嶋茂雄絡みはほんの一端にすぎない。会長就任後すぐに沸き起こった授業料値上げの反対運動こそ大学時代のクライマックスだった。大学側のやり口は裕康に言わせれば「大変に巧妙」で…
2026年2月10日
2浪自体は「数年分ほかの人より遅れたところで、その分長生きすればいいじゃないか」と、裕康はあまり自分を責めることをしなかったというが、立教大学経済学部経済学科に入学した時点では、前回紹介した通り「…
2026年2月3日
伊藤裕康が高校受験する年となった1950年は、新制高校が発足したばかりでさまざまな制度が模索されていた時期に当たる。東京都内では、公立志望の生徒全員がテストを受け、成績がよければ事前登録した学区内…
2026年1月29日
疎開先のいじめで膝骨折 伊藤裕康が通った京橋国民学校は東京・築地市場が近く、市場関係者の子供らも多く通っていた。中央魚類(株)入社後に当時の同級生2~3人に声を掛けられたと後年に語っている。母・いつ…
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