2020年12月17日
◇矢野/本日は三國シェフに「オテル・ドゥ・ミクニ」のオープンまでを中心とした歩みと、その中でホヤとどう関わってきたか、さらに今後の食育やホヤの消費拡大についてもお伺いしたいと思います。三國シェフは幼少期に浜に打ち上がったホヤをよく食べたと聞き及んでいますが、幼少期には実際どういう経緯があったのでしょうか。
◆三國/僕がホヤに出会ったのは小学校3年生くらいの頃です。生まれ育った北海道の増毛町ではかつて多くのニシンが獲れました。あまりに多くのニシン獲れたため、最後は飼料にしていたくらいです。ニシンは江差から遡上するものとロシアから下ってくる2種類います。それが小樽にわたって増毛沖に来るのですが、1953(昭和28)年には増毛に一尾もいなくなりました。この原因はいまだに分かっていません。三國家はみな漁師です。ただ、漁業の街でありながらリンゴやブドウ、サクランボなど「フルーツのふるさと」でもありました。地理的に見ると[....]