魚と芸能の島・答志

2016年3月15日

 答志地区最大の年中行事である八幡神社への大漁祈願「神祭」が2月20日から3日間行われた。この寒い時期に祭りとは珍しいが、季節風でシケが多く、漁模様も薄いという合理的な理由があるようで、今年はちょうど300年目にあたった。

 私にとってのいちばんの驚きは、祭り本体よりも、最終日の最後のイベント、漁協支所の管理委員(中堅組合員)による歌舞伎「壺阪霊験記」であった。小学校の学芸会程度と内心思っていたが、とんでもない「玄人はだし」で、つい芝居に感情移入してしまった。衣装も本格的でおそらくその一場面をテレビで放映しても、誰も演者が素人、まして漁師とは気が付かないと思う。セリフを噛むこともなく、役にはまっている。なぜこんなにうまいのか。それは昔から「寝屋子」ごとに芝居を競い合ってきた伝統があるかららしい。

 一方、女性陣の方も負けてはおらず、小さなお子さんから年配者までの日本舞踊がまた素晴らしかった。答志に住む皆さんは、芝居か、踊りか、本格的にできて当たり前の芸能の島でもあった。皆さん集まっては相当に練習もするようで、これが離島という地理的な条件に加え、住民の団結心を強めているのは間違いない。

 「神祭」行事の方は、漁協支所が運営主体となり、旧漁協の建物内に一定期間女人禁制となる事務所が構えられた。事務所内での行事も見せていただけたが、海にかかるゆえの特殊性と長い歴史の積み重ねが感じられた。神事の厳格さを表すものとして、祭りの中心行事に使われ、みんなが奪い合う「御的」を浜で作るところは誰も見てはならないとのことで、道路を一定時間、封鎖する徹底ぶりに驚いた。

 今回改めて気づかされたのは、お祭りは「お金と若者」がないとできないこと。その「お金と若者」が多くの地方では、絶滅危惧種となっている。私の生まれた大分の田舎では今や御神輿を「軽トラック」で運んでいる。答志の「神祭」が漁業に支えられ、今後も続くことを祈るばかりである。