同じ屋根の下に

2017年3月22日

 答志で最大の行事である神祭(じんさい)が今年も2月に行われた。玄人はだしの芝居や踊りをぜひ見ておくべきだと、千葉にいる家内を呼んだ。その際隣の和具浦の漁師の皆さんが作業小屋で一杯やっているので来ないかと誘われ、家内と一緒に出掛けた。すでに酒が回っていたこともあったが「奥さん! お宅の旦那はこんなところに一人で住んで好き勝手なことをやっているが、許していいのですか!」と家内はさんざん言われていた。

 翌日、神祭会場で芝居を見ていると、今度は答志の漁師の方が寄って来てまた同じことを言い始め、家内はただ苦笑するばかりであった。どうも答志島の人たちからすると、夫婦が別に住んでいることが許せないらしい。

 家内から言われて初めて気が付いたが、舞台前に座っていた約100人近い島民の年齢が、赤ん坊から超高齢のお年寄りまで均等に揃っているのは、都会では見られない光景だったこと。確かに、千葉の団地はほぼ同じ年齢層の住民で構成され、今は子供も育ち出て行き赤ん坊の声など聞いたこともない。

 これは地域社会の持続性という点で重大な差と思った。答志では4世代が同居していることも珍しくないが、都会では超レアケースであろう。それは個人として雇用される都市労働者と違い、漁業という海がある限りクビにならない仕事が身近にあり、その仕事には複数の人手が必要なためであろう。都会では小規模店舗などの自営業がそれにあたるのではないか。

 しかし、多世代家族の同居を支えた第一次産業は衰退し、都会でも小規模店舗はつぶれシャッター街が出現した。このことが、高齢者介護、保育所不足、放置空き家の増加など国家的問題を加速化させた要因ではないか。効率化最優先で人間を道具として地域や家族から切り離してきた経済施策を根本から見直し、憲法で「家族は同じ屋根の下に住むべし」と規定すべきである。私が偉そうに言える立場ではないが。