値段とはいったい何なのか

2015年8月12日

 答志町に来ていちばん驚いたのは、食料品店の商品に値段が書いていないこと。ごく一部の季節の果物には値段が表示されているが、価格変動の大きい野菜にすら表示がない。富士山頂で買う缶コーヒーと同じで、離島のものが「高い」のは当然と、それは覚悟してきた。しかし、どの程度高いのか分からないのは怖い。まさか、ラーメン1袋1000円はしないだろうが、島民の方が平気で買っているのを見るとこの人たちは金持ちばかりなのかとつい思ってしまう。

 なぜ、値段がついていないのだろうか。朝のフェリーで商品が到着次第陳列するので、そんな手間をかけられないのか、食料品はその店しか売ってないのでほかと比較する必要がないのか。レジはあるがレシートはないので、一体この商品はいくらだったのかは単品で購入した時に初めて分かるという具合。

 しかし、これに慣れてくると、「これいくら」を全く考えずものを買うという経験したことのない不思議な感覚になってくる。「競争は消費者の利益に」論者からみれば、「かわいそう暴利をむさぼられて」であろうが、そのような感覚は全然しない。同じ島民の付き合いにおいてそのようなことが許されるはずがない。個人商店には違いがないが、実態は島民の購買部のような感じがする。それは、値段を媒体とした、店と客のその都度の「取引」ではなく、不便な離島の生活を少しでもよくしようとする「共同作業」に近い。値段が表示されていないのは、むしろ互いの信頼関係の裏返しかもしれない。

 もちろん消費者にとって、値段が安いのは結構なこと。しかし消費者は同時に、価格競争で企業が疲弊し給与が下げられる従業員でもあり、デフレ不況の悪循環に陥るなら結果は同じ。日銀は、2%物価目標の達成に懸命であるが、そのための秘策がある。全国すべての商店で値段の表示を1年間禁止する。商店は安売りしなくなるし、消費者は値段でなく、どうしても欲しい商品、中身のよい商品から選択するようになる。いいアイデアだと思いませんか?