100回目を迎えて

2019年9月27日

 月2回の連載が今回で100回目となり、答志島に住んで4年が経過したことになる。三重県に来てから通算すると7年となるが、最初の3年で2か所の漁村に短期間いた時と、同じところに4年いるとでは、その現場を見る目が異なってくる。例えれば、寿命が数日の生き物が月を見てたまたま三日月であれば、月とはそういうものと思うだろうが、より長い寿命であれば満月もあり新月もあるそれが月だと分かるようなもの。

 前から感じていたが、漁業者と接する期間が長くなるにつれ、ますますその感を強くするのは、その時々の漁模様に一喜一憂しないこと。「きょうはどうでしたか」と聞けば、それなりの反応はするが、黙って見ている限りは、大漁で笑み満点の漁師もいないし、わずかな水揚げでしょげている漁師も見ないのである。これは、業績が落ちればすぐ騒ぎたて社長を代えたり、成長しなければこの世の終わりかのようにやたら「成長産業化」を連呼する陸上の者とは明らかに違うのである。

 それはどこからきたのか。おそらく、日々の潮位の干満、月2回の大潮と小潮、10年単位以上での資源の増減など、海には何一つ直線的なものはなく、揺らぎを繰り返す。よい時もあれば悪い時もある、を何代にもわたり経験してきた。それが自覚せずに身についた理念として引き継がれてきたからでないかと思う。

 この理念は中国思想の「陰陽」に近いと思う。その定義は「陰と陽は相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる」(ウィキペディア)。

 まさにこの「陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる」は資源変動そのものでないだろうか。だから漁師は陰(不漁)陽(大漁)を一対のものとしてとらえ一喜一憂しないのかと。