漁師・力生のカンボジア

2014年3月13日

 カキむきをお休みし、2月中旬に5日間ほどカンボジアに行ってきた。SEAFDEC(東南アジア漁業開発センター:以下「センター」)からの招待で、ASEAN各国が参加した「共同体による資源の自主管理」に関するワークショップで講演するためであった。私がご指名に預かったのは、水産庁での経歴もあるが、役人をやめて漁師になったのが、ASEANの人々にも物珍しかったためであろう。

 会議の雰囲気は、何とも「和気あいあい」であった。白人相手のけんか腰の国際会議しか知らなかった私には、まるで日本国内での資源管理のブロック会議のように映った。歴史や言語の違いを感じさせない出席者の一体感は、アジアという共通点ゆえなのだろうか。意外であったが、各国とも資源の共同体管理の導入に非常に意欲的であった。ASEANの漁業の実態に照らし、トップダウン式欧米型資源管理手法よりも、この方法が適しているとする、水研センターから出席した牧野光琢漁業管理グループ長の生態系と社会システムの両面からの分析は大変な説得力があった。対中国外交戦略上において日本とASEANの連携強化が必要とされる中、それに40年以上も前から取り組んできたセンターの重要性を改めて感じさせられた。

 最もショックを受けたのは、あの忌まわしいポル・ポト政権下の大虐殺の影響が今も残り、高齢者がほとんどいなかったこと。プノンペン郊外の共同体管理の先進漁村を視察した時に集まった漁業者にも、高齢者がいなかった。大人がほとんど殺され、解放時にはなんと14歳以下が人口の85%を占めたといういびつさゆえである。これでは子供が1人もおらず、65歳以上が地域人口の85%を占めるような熊野の漁村の全く逆である。もし、カンボジアの人が何の予備知識もなくこれをみたら、何と思うだろうか。もちろん、これは経済政策がもたらした結果であるが、高齢者の住む過疎地の人口構成のいびつさは、実は大変な日本の悲劇の表れではないかと気づかされる視察であった。