漁労技術の再点検

2013年8月21日

 甫母の漁業者から「水産庁で自動網修理機を開発してもらえんか」とよく言われる。長時間労働のエビ漁で、最も時間がかかり、「これさえなければ随分と楽になるのに」とするのが理由である。コストを考えなければ、今のIT、画像処理、ロボットなど先端技術をもってすれば、十分可能であろう。
 しかし、そんな夢を語る以前の問題として気になるのが、沿岸漁船の漁労技術は近年、ほとんど進歩していないのではと思うことである。

 その理由の1点目は、拡大期には企業も新たな漁具漁法の売り込みに力を入れただろうが、縮小する分野に力を入れることはないため。2点目は、水産施策がさらにそれを停滞させたということ。昭和50年代前半頃までは、どこの県の水産試験場にも漁具漁法のセクションがあり、2?3人の技術者がいて、より多く、より効率的に魚を獲るための技術開発に取り組んでいた。しかし、2百カイリ時代となり、栽培漁業や沿整事業が拡大し、その分野に技術者がとられた。

 またその後、資源悪化が叫ばれ始めたことから、漁労技術開発は「悪者」扱いされ、国の研究機関からも消えた。私の知る限り、この分野の研究者は大学に数人残る程度と思う。衰退したとはいえ、漁業国日本がこんな状態でよいのだろうか。

 最近の国の資源評価に、以前では考えられないような現象が一部に現れ始めた。資源指数が改善しているのに、漁獲量が減り続けているのである。魚が安いうえに燃油は高いから、魚がいても獲りに行けないのである。甫母の今年の夏の状況も同じ。以前であれば、カツオやイカを追って出漁したが、赤字になるだけだと、ほとんどが停泊している。

 では今やるべき課題は何か。より安く、より多く魚を獲る、ひと昔前に戻ることではないか。引き続き注意すべき資源があるものの、「魚をたくさん獲るのは悪いこと」の思い込みのままでよいのかと思う。改めて、現状の漁労技術の再点検を行い、低コストで効率的に魚を獲る沿岸漁船の技術開発に取り組まなければ、30年前の技術のままで後継者を求めるのは失礼であろう。