本物の「あまちゃん」は甘くなかった

2014年2月13日

 昨年10月、JF鳥羽磯部漁協の石鏡支所を見学した時の話。ふと沖を見ると、堤防の向こう側から小さな漁船が現れ、船上に何か黒い塊が見える。だんだんと近づくと、それはウエットスーツを着た10人ほどの海女さんだった。もし、皆さんが白いヒラヒラした赤ちゃん帽子をかぶっていなかったら、その黒ずくめ集団には、対テロ特殊潜水部隊と勘違いしそうな威圧感があった。さらに、船が接岸するやいなや、きびきびした連係プレーで、あっという間に、サザエの入った網かごを陸揚げしてしまった。

 私は、本物の海女さんを初めて見た。テレビで見てきた海女さん、ましてや「あまちゃん」とは全く違うその迫力に、圧倒された。どうみても、顔はおばあさん。なのに、その気迫と敏捷性にあふれた動きの若さに、今まで経験したことのない、人間集団を見た気がした。

 この体験は、以前からの疑問である「どうして海女さんは苦しい思いをして素潜り漁を続けているのか、潜水器を使えばずっと楽なのに」をあらためて私に考えさせた。
 この疑問に対する答えは「資源保護のため」が最も多く納得もいく。しかし、それだけなら潜水時間を短くすればよい。私が考えたもう1つの理由は、効率漁法の導入はいくら立派な理屈を並べても、現実として漁村に富の偏在を引き起こしかねないので、慎重になっている、であった。

 そこに、今回の体験でさらに理由が増えた。それは、素潜り漁そのものにスポーツのような魅力があるからでないか。石鏡出身で現役の海女さんでもある浜口富太さんの奥さんは、苦しくても潜るのが楽しい、潜水器では面白くないとのこと。あの海女さんたちが海から帰ってきた時の顔つきや身のこなしが、野球選手がグラウンドからダッグアウトに引き上げてくる時のそれに似ていたような気がする。

 海女さんに潜水器を勧めるのは、ピッチャーにピッチングマシンを使って時速200?の球を投げるように勧めるのと同じくらい、間抜けなことかもしれない。働くこと自体に喜びを見いだすのが日本人か。