屋号は実力で決まる

2014年6月12日

 ご婦人方に囲まれてカキむきをしていると、いろいろな話が聞けて楽しい。ある時、会話の中に「ハチロベイばあさん」という単語がたびたび出てきた。この世には変わった名前のばあさんがいるものだと聞くと、それは屋号であった。そこでひとしきり屋号の話が始まった。

 お手伝いしている浜口冨太さんの家の屋号は「とせや」という。この屋号は、3代目のご先祖が鳥羽の離島から当地に移住してきたときの奥さんの名前「とせ」が起源らしい。熊野では女性由来の屋号は全く聞かなかったので、さすが天照大神のお膝元かと興味が湧き、浜口さんのおじいさんに聞いたところ、それは「実力主義」ともいえるものであった。

 ご先祖は、漁業のほか小さな店で商売もしていたらしいが、奥さんの方がやり手であったので、いつしかその店が「とせや」と呼ばれるようになったとのこと。当地では、ほかにも女性名の屋号の家が2、3軒あるらしいが、それにまつわる面白い話が聞けた。

 昔、ある女性が、女性名の屋号がうらやましくて仕方がなかった。そこで意を決して、自分の名前を屋号にし、自分でそう呼び始めたらしいが、だれもそう呼んでくれないままに、亡くなったそうである。
 屋号とは、自分で決めるものでなく、他人に認めてもらって初めて定着するようだ。実力主義の世界とはいえ、この女性も、「とせ」さんのご主人も、何かかわいそうな気がする。

 ところで、今の安楽島地区は、漁業以外の仕事の人も多く住む地区なので少し事情が違うが、私がいた熊野の甫母のような純粋な漁村では、互いを呼び合う時は、ほとんど下の名で、しかも呼び捨てが多い。せいぜい目上に「?にい」「?ねえ」を、たまにつける程度。さらに、浜口さんの奥さんの出身地、石鏡ではもっと徹底し、子供のころから、年齢の上下や男女も全く関係なく完全に呼び捨て。しかも兄弟姉妹の間でもそうとのこと。私も、実際に漁村に住んで、この敬称がない社会には違和感をもったが、同時に、これで円滑な人間関係を維持していることに、感心もした次第である。