[13]今どきの若い者は

2013年7月17日

 甫母で時々「お兄さん」と呼びかけられることがある。退職した人間をつかまえていくら何でもそれは、と始めは違和感があったが、今は全然ない。村人の平均年齢からみれば、その通りだから。
 5月下旬から、漁業の方は土、日の小型定置網の網替えのみにしてもらい、それ以外の日は漁協の朝の市場の手伝いを始めた。このため、1日も休む日がなくなったが、それぞれ半日程度の仕事なので、伊勢エビ漁に比べるとまだ楽である。

 市場には意外に若い人が多く、漁協の職員もだが、市場に直接船を着け、魚を揚げる大型定置の乗組員に多い。その中に、どうみても高校生くらいにしか見えない、なぜか色白のままの若者がいる。華奢な体つきで大丈夫かと見ていると、しっかりと重たいカゴを持ち上げて、仲間に選別の指示もしている。ジムで筋トレしても、そうはならない漁業者の特徴である前腕部の筋肉も発達しているので、鍛えられたのであろう。また、真っ黒に日焼けした顔中に、白い鱗が着いたまま払い落とそうともせず、懸命に働いている若者もいる。その姿からは、「きつい」「つらい」ではなく、何か充実感のようなものすら伝わってくる。聞いてみると、水産庁の漁業就業セミナーを活用したらしく、県外者もいるという。出身者が言うなと怒られそうであるが、水産庁もたまにはよい仕事をしているようである。

 一方、沿岸の小型漁船で魚を揚げてくる漁師は、甫母同様に高齢である。仲買人には中年の人も多いが、漁業者だけを見ていると、父親が不在で、おじいさんと孫が働いているような中抜け状態。

 伊勢エビ漁の厳しさを体験した時には、「今どきの若い者」には難しいと思ったが、この言葉は4000年前の古文書にもあるそうで、心配せずとも若者はがんばり、十分耐えていけるような気もしてきた。問題は、個人経営が基本の小型漁船と雇用型の大型定置の違いがあり、やはり自分が経営者となった時の収入の安定性であろう。大型定置で働く若者が再び戻っていくことなく、地元の漁船漁業で後継者になれるような中継ぎの仕組みがあればよいと思う。