[13]「何か違う」という感覚

2014年4月30日

 最近はアジアからの観光客も増え、ちょっと見ただけでは分からないが、でも「何か違うなー」と気になっていると、話しことばが聞こえ「やっぱり」と思うことがある。しかし、どこがどう違うから、日本人じゃないと感じたのかは、自分でもよく分からない。

 私は、これと同じ感覚を、移動販売の先進漁協視察で静岡県に行った時、漁船に対してもったことがある。そこには熊野の漁船とよく似た船がいたが「何か違う」のである。ハッと気が付くと、揚網用のローラーの舷側が熊野の逆だったのである。毎日乗船し、知らず知らずのうちに船の装備の位置関係が映像として頭にインプットされ、それが違和感を覚えさせたのであろう。

 でもなぜローラーの位置が逆なのか、その後もずーっと気になっていた。ところが、偶然にもその謎が熊野で棒受網漁船に乗船した時に解けたのである。初めに乗船したのは、秋は北海道沖で操業し、冬は熊野灘で操業する漁船で、2回目は周年熊野灘で操業する漁船であった。

 2回目の乗船中、静岡で見たローラーの位置の違いの質問をすると、「それは熊野の棒受網漁船にもある。北海道沖に行く船は左舷側に揚網装置があるが、周年地元操業の船は右舷側にある」と驚くような答え。その理由は、北海道沖での操業は、ほとんどが漁船の左舷で行うが、熊野灘では風向や潮流などとの関係で、右舷にあった方が操業しやすいためとのこと。なるほど、主たる操業海域に合わせた合理的な選択のうえの違いであった。

 それにしても、私は操業を目のあたりにしながら、その違いに全く気が付かなかった。「何か違う」という感覚は、同じことの繰り返しを通じて初めて体得できるものなのだろう。もしかしたら、農業者や漁業者にみられる都会発の流行に左右されない保守性は、日々自然に接し、初めて得られる「何か違う」という物事の本質をつかむ第六感ともいえる無意識の知恵からきているのかも。