MSYは自然にかなわない

2016年4月8日

 答志に来て8か月ちょっとなのに「こんなことは初めてだ」に2度も出会った。それもよいことと悪いこと。よい方は「サワラ」のかつてない大豊漁。悪い方はすでに本紙でも報道された伊勢湾の「イカナゴ」の禁漁である。答志の船びき網漁船も試験操業を行ったが全然獲れなかった。過去においても3?4日で漁を切り上げたこともあったらしいが、一日も出ない禁漁は初めてとのこと。

 当海域のイカナゴ資源の極端な悪化は、特別な意味合いをもっている。なぜなら、この資源の管理は研究機関の調査に基づき、イカナゴの残存資源尾数が20億尾を下回ることがないよう、解禁日と終了日を決める厳格な数量管理を行ってきた全国的にも有名な事例であるから。いつもなら「乱獲だー」とわめき散らすTAC真理教徒の方々も、この不都合な真実には黙って下を向くしかないであろう。

 TACの基礎となるMSY理論(子は親で決まる)が正しければ、親を残しても子が少ないことの説明がつかない。おそらく、最近の高水温(環境)が資源悪化の要因ではないかといわれているが、これでますます、東京海洋大学の桜本和美教授の新理論(子は親と環境で決まる)の方が現実に合致すると思えてきた。

 このような資源変動を身近に体験すると、欧州で生まれたMSYとは、人間が創造した万能の神を自然よりも上に置く一神教徒の考えそうなことであり、逆に自然の中に「八百万の神」を見いだす日本人こそが現実的な資源管理ができる気がしてきた。しょせん人間が頭で創造したMSYは、自然(環境)にかなわないのである。

 いつもなら大きな船のブリッジでハイテク機器に囲まれ、さっそうとイカナゴを追っかけているはずの漁師は、今年は天然ワカメを採りに行っている。小さな磯舟の上でワカメまみれになったカッパ姿を見ると、その格差につい笑いが出てしまったが、そこに漁師のしぶとさと、何かがなければ何かを与えてくれる自然のありがたさを感じた次第である。