生贄

2018年2月16日

 今年も伊勢湾のイカナゴ漁の季節が近づいたが、さっぱり魚のいる気配がなく、これで3年連続の禁漁になるのは確実と漁業者は諦め顔。それにしても数量管理の優等生といわれたイカナゴ資源がこれでは、人間の力も自然の前ではお手上げ。先般、鳥羽市の「海の博物館」に行く機会があり、学芸員さんの説明を聞いたが、農家の雨乞いと同じく、漁師も昔は資源回復のお祈りの儀式をしたそうである。

 気になることがある。それは私が答志島に来たその年からイカナゴが全然獲れなくなったこと。「佐藤が不漁の原因だー」と言われたらどうしよう。私の知らないところで「佐藤を簀(す)巻きにして漁船のへさきから伊勢湾に投げ込むしかない」というたくらみが進んでいるかも。確かに私は水産庁の初代資源管理推進室長だったので、生贄(いけにえ)にするにはこれ以上ふさわしい人間はいない。儀式なのですぐに回収してもらえるなら協力してもよいが、「それでは効果が薄い」と突然気が変わられたら困るのでやめとく。

 それに加え黒潮の大蛇行のせいなのか、チリメンまでが急激に減少しておりどうしようもない状態。この2つの魚の不漁は、答志支所の主力漁業のバッチ船びき網漁船を直撃しているだけでなく、島の加工業者にとっても最大の収入源であったので、小規模業者は夫婦で本島側に出稼ぎに行き始めたと聞いた。

 現場にいると本当に人間に資源管理などできるのかと思う。科学が進歩し、資源変動予測の精度は今後も高まっていくであろうが、では管理のために黒潮の蛇行を元に戻すことができるのか。できるわけがない。資源管理のすべてを否定するものではないが、現役の頃、漁業者を前に「こうすればこうなる」などと言った自分が恥ずかしくなる。最近水産庁が規制改革推進会議に、外国をまねてMSYに基づく資源管理をすれば、こんなに資源が増えますと計算値を出したが、まさに机上の空論としか思えない。