漁村で育つこと

2017年1月12日

 私の漁村での探求課題の一つは、漁業者の思考回路「どうしてそういう考え方をするのか」の形成過程である。これは私が日ソ漁業交渉(当時)に携わっていた時に、3年間のモスクワ勤務中に、ロシア人と付き合い、生活ぶりを間近に見て、彼らのものの考え方を知ったことが役に立ったからでもある。

 一つの職業として水産の世界に入った私は、漁村で生まれ育った人には到底かなわないと思うことが度々ある。それは、特に小さな子供が魚市場に来て、手伝いをしている様子を眺めている時に感じる。

 先般も小さな女の子が空になったかごを船に戻す母親の作業の手伝いをしている(どちらかというと邪魔をしている)様子を見ていて「何歳なの?」と聞いたら「にちゃい」。すでに物心がついた時には、多くの人やフォークリフトが行き交い、ひっきりなしに漁船が発着する魚市場にいたのだからすごいものである。タイガーウッズが生後9か月からクラブを振り回していたようなもので、きっと将来は立派な漁師の奥さんになるに違いない。

 答志支所では子供が小さい時には母親は家にいて祖父や祖母が乗船するが、保育園に入るくらいの年になると基本的に夫婦で沖に出る。夜間操業で夜中にいない時もあり、いくら祖父母と一緒に暮らしていても母親が漁に出るのをぐずるそうである。

 気が付いた時には両親揃って漁に出ている。保育園児の頃から参加する行事やお祭りもすべて魚と関係がある。このような環境で育ってきた人にとっての漁業とは、生計を立てるための選択肢の一つではなく、逆に漁業そのものが「生きる」ことと受け止めているように思える。

 この感覚は私のような人間にないことからうまく説明ができないが、例えば「漁村の活性化」や「漁業の競争力強化」といった一般的な言葉では、漁村で育った人たちにはもう一つピンとこないような気がする。もっと命の通ったよい表現はないだろうか。