浜が“沸く”

2016年1月13日

 合併後に本所となった漁協の建物は別にして、旧漁協の建物は老朽化で雨漏りがしても、取り壊すカネもないので、そのまま放置されていることが多い。シーンとしたその建物に入ると、昭和30年、40年代に撮影されたであろうか、時の流れで変色した白黒写真が掛けられており、そこには港にひしめく漁船や漁業者、魚市場いっぱいに並べられた魚が写っている。私が、浜回りをして漁業の衰退を最も感じるのはそのような時である。

 2百カイリ以降、日本の漁業は衰退の一途をたどったが、それでもマイワシ資源の絶頂期に近かった50年代後半、釧路港で見た水揚げの様子はすごかった。岸壁に隙間なく並んだ運搬船から次々と到着する大型ダンプに、まるで土砂のごとく魚が積み込まれ、あたり一面こぼれた魚と荷台から流れ落ちる魚の血でグチャグチャ。これぞ「浜が魚と人で沸き返る」という感じであった。

 それとは規模は違うが、同じような感覚を久しぶりに答志の市場で覚えた。それは、イセエビ漁解禁後の初日の水揚げ風景。朝6時過ぎに普段通り市場に行くと、いつもと全然様子が違う。多くの漁船が岸壁に2重、3重と横付けしている。いよいよ魚の受け取りが始まると、計量場のところは、特売日のスーパーのレジのごとく漁業者の列ができた。
 当然イセエビが多いが、刺網には魚もかかる。2か月間の全面的な底刺網漁の禁漁のあとでもあったので、魚も日頃の何倍も揚がってきた。1トン弱の活魚水槽156面が瞬く間にいっぱいになり、日頃は余裕をもって入れるかごも、隙間なく入れないと収容しきれないほどであった。

 あまりの魚の多さに、普段の作業工程しか知らない私は、全く役に立たず、ただ茫然と魚と人のごった返しを眺めるだけ。その時である、なぜか、水槽から急に湯気が沸き立ってくるような感覚がしたのである。魚の跳ねるしぶきではない。これこそ「浜が沸く」というものかと思った不思議な経験であった。