多様性にみる合理性

2015年9月30日

 熊野でイセエビ漁を手伝い、その後、鳥羽でも同じことをした時、その船型、漁具、操業方法の違いにショックを受けたことがある。先般、同じ答志島にある鳥羽磯部漁協和具支所の市場作業の様子を見せてもらったら、わずかな距離しか離れていないにもかかわらず、水揚げ(搬入)から入札(搬出)までのやり方がずいぶん違っていた。しかし、すぐには「なぜ?」と質問しない。まず自分であれこれ考えてみる。そうして、最後に職員の方に聞いて「あーなるほど、そういうことか」と納得する。これが実に楽しい。というのは、その違いからその地域特性がみえ、しかもそれは試行錯誤を繰り返し、そういう形に至ったもの。どこかの事例をまねたのではないだけに、聞けば聞くほど、現場積み上げの合理性に感心する。

 1つの事例を挙げよう。和具支所は昔から「サワラ」で有名。もちろん答志支所にもサワラが水揚げされる。ところが、陳列に使う発泡スチロールの箱のサイズときれいさが違う。答志は幅が広く、漁船名が書かれた使いまわしであるが、和具は半分程度の大きさですべて新品。「ちょっと見」では気づかない点だが、現場で毎日同じことを繰り返しているからこそ、他の例を見た時に「違いが分かる男」になってくるのは面白い。

 この違いは、和具は「釣り」、答志は「刺網」の漁法からきていた。釣り物はもっぱら刺身向けであり、きれいな箱をそのまま出荷に使い、その経費も仲買人負担。刺網物は、仲買人が鮮魚か加工かに選別後、出荷する。箱は漁業者に戻されるから、古くてもかまわない。漁業も流通も、地域特性により多様というより「同じものは1つもない」に近い。

 一方、同じものもあった。サワラにかかる一連の市場作業では、漁協の職員は計量と記録の2人だけで、あとはサワラ漁業者とその家族が20人近く集まり、共同作業で一気に片づけてしまうところ。市場統合が効率化につながるという一様化思想は、職住接近ゆえに可能なこの状況においては、全く非合理的なのである。