国破れても漁港あり

2016年2月12日

 このほど、青森県漁港漁場協会の研修会で講演を行った。テーマは私の漁村体験を通じて感じた漁港への思いであり、言いたかったことは「漁港は絶対に減らしてはならない」であった。

 そこには水産庁の漁港担当者も来られており、「佐藤さん、ずいぶん現役の頃と言うことが違いますねー」とからかわれ、かつての己の不明を恥じるしかなかった。公共事業不要論がマスコミで喧伝された頃、著名な経営コンサルタントO氏による漁港攻撃はすさまじかった。その頃の私も水産庁予算の3分の2を占めた漁港予算を少し資源管理に回してくれればよいのにと思っていた。しかし、現場を経験すると、いくら資源があっても漁船がなければ駄目、漁船があっても漁港がなければ駄目。それは東日本大震災の復興がまず漁港再建から始まったことからも分かる。水産庁に入って間もない頃、出張先で漁業者から「水産庁には漁港部しかいらない」といわれ悔しい思いをしたが、ある意味それは当たっていた。

 にもかかわらずO氏は、漁船が減った、輸入があるからと前と同じことをまだ言い続けており、おそらく国民の多くもそう思っているであろう。すでに漁港予算はかつての4割に減っており、このため漁港の集約化の方針も打ち出されている。

 しかし、予算が減ってどんなに改修に年月を要しようが、石(岸壁)にかじりついてでも漁港を減らしてはならないと強く思う。昨年10?12月期のGDPの民間シンクタンクの予測は軒並みマイナスであり、日銀のマイナス金利導入をみても、いよいよ日本経済はどうにもならない状況になりつつある。国外に目を向けると世界中でテロの脅威が高まっており、地域紛争も拡大する一方である。尖閣でいったん事が起これば日本は戦争に突入し、その先どうなるかの予想もつかない。

 しかし、何が起ころうが日本には豊かな海が残っている。そして漁港さえあれば何とかなる。漁港は目先の損得勘定で判断するものではない。「国破れても漁港あり」でなければならないと思う。