先人の知恵による資源管理

2015年8月25日

 毎朝6時から答志市場のお手伝いをしているが、いつもなら8時ごろ水揚げする、ある小型底びき船がもう着いていた。「今日は禁漁区が浜開けするので海女に行く」とのこと。そこで、漁協の方に事情を聞くと「今日はお祭りだから」。「浜開け」と「お祭り」に何の関係が? 実は、島全体がご神体となっている「小築海島」で長年行われてきた行事であった。

 神職の方も乗られた漁協の船で島に近づくと、そこには海女さんが乗った数十隻の漁船が待機。漁協の大漁旗を合図に一斉に海女漁を開始。日頃は祟りがあるので、決して上陸しないが、この日だけは青年部が代表して島に上がり、祠にお供えをして、帰りに島に生えているカヤとクワを持ち帰るという、何とも歴史を感じさせるものであった。

 私はこの様子を見て、昔本で読んだ、先人の知恵から生まれた最初の資源管理手法「神聖な場所」プラス「獲ったら祟る」の組み合わせに出会えたことに感激した。「村の神社の木は切ってはいけない」は、地域の生態系の維持に大いに役立っている、あれと同じである。MSYなどインチキくさい理論は別にして、獲りすぎはよくないということを体感していてもなかなか守れないところに、「祟るぞ」という人間の恐怖心を利用し守らせる、先人の知恵には恐れ入るばかりである。

 水産庁時代にアフリカの政府の役人に資源管理を講演したが、私の国の漁師にはとても資源管理の理屈など理解してもらえないと嘆きの声があった。では、禁漁区にしたいところに漁師の神様の祠のようなものを立て、魚を獲ったら「祟りがあるぞ」と脅したらどうかと答えたら、大笑いしながら「それはいいアイデアだ」との反応があった。

 神様の許しを得て、年に1度だけ開かれる漁場は、特にアワビの量が全然違った。私も船上でそのおすそ分けにあずかったが、アワビは刺身でいただくより、海水で洗いそのままかぶりつくのが絶対にうまい。島の「桂大明神」に感謝。