よい談合のすすめ

2016年10月27日

 「談合」という言葉には「入札談合」のような悪い意味のほかに、単に「話し合うこと」の意味もある。私は、「入札談合」であっても「悪い談合」と「よい談合」があると思う。実は「よい談合はどんどんやるべし」と、ある場で発表したかったのであるが、到底真意が伝わらず関係者にご迷惑をおかけすること必至なのでやめることにした。

 その場とは、実は本日(27日)開催の「全国漁港漁場大会」での事例発表である。同大会には昨年は1300人もが参加したという水産関係団体が開催する大会で最も大規模なものである。そんな大会において、現場からみた漁港の重要性について発表するよう事務局からお声が掛かった。私は、一部の世論にある「漁港不要論」は完全に間違っていると現場で確信したので、喜んでお受けすることにした。

 話を戻すが、なぜ私が「よい談合はどんどんやれ」と思うのか。それは資源管理との比較である。資源管理はある意味「限られた資源をどう分け合いみんなで生きていくかの話し合い」という談合行為そのもの。しかし、称賛されても批判されることはない。にもかかわらず、減少する公共事業予算という限られた市場(資源)の中で、建設業者が何とか生きていくために工事(漁獲枠)を分け合う話し合いがなぜ批判されるのか。

 例えば、国から割り当てられたTACは、漁模様をみながら各漁業団体間で話し合いをして融通し合っている。一部の団体では個々の漁業者ごとに割当を行っている。このような談合制度があるからこそ、みんなが生き残れる。ITQなどで漁獲枠を入札制にしたら、一部の金持ちが生き残るだけ。もちろん、資材価格を水増しするようなことは許されないが、役所は適切な工事原価を前提に上限価格を決めている。グローバル化や規制緩和で富を独占する企業や投資家は野放しにされる一方、地方の零細建設業者が価格競争を強いられるのは、理不尽極まりないと思う。