やればできる花火大会

2019年8月8日

 もう二度と体験できないであろう「鳥羽みなとまつり」の花火大会が7月26日に強行された。当日は運悪く台風6号が接近中で中止になると思っていたが、当日の朝には予定通り行うとの広報があった。少雨決行なのでおそらく天気予報ではそうなのかと思っていた。この祭りは金刀比羅宮鳥羽分社の神事であり、花火大会の前には「海上渡御(とぎょ)」と称する船のパレードが行われることから、漁協各支所から漁船が参加する。船の上で一杯やりながら花火を見るのが私のいちばんの楽しみなので毎年必ず乗船させてもらっている。

 夕方からだんだん雨が強くなってきた。そろそろ中止のアナウンスがあるかと思っていたが、例の音だけの開催予告の花火が上がり続け、その音が「何が何でも絶対やるぞ」とやけくそになってきているように聞こえ始めた。こんな中で強行しては市民から文句がこないかといっているうちに海上パレードとなった。

 そうして海上から陸側を見た時に「なるほど強行するのはこのためか」と分かった。日頃見たことがないほどの明かりがホテルや旅館の窓についており、豪華客船・にっぽん丸も来ていた。おそらく1年間でこの日がいちばん宿泊客が多いのだろう。観光が基幹産業の鳥羽市においては、この花火大会は市民のためでなく観光客のためのものだった。それが分かると、大会事務局の苦渋の決断が理解できた。

 パレードが終わると、漁船の皆さんは「花火どころではない」と島に帰ると言い始めたので、私は「何が何でも見てやる」と一人船から降りた。見物者がほぼずぶぬれになった中いよいよ始まったが、そのころから風も強くなり、傘が強風で逆さになるほどになったのであえなく中止に。しかし、暴風雨の中でもがんばる花火をこれほど応援する気持ちになったのは初めて。今年の鳥羽花火大会とかけ、宮沢賢治と解く。そのこころは「雨ニモマケズ風ニモマケズ」