これぞ循環型経済

2015年10月14日

 隣の和具支所の運営委員長さん(旧漁協の組合長に当たる)から「今一杯やっているから来ないか」とお誘いがあり、市場のすぐ近くのお寿司屋さんにお邪魔した。そこのお客さんのほとんどが、漁師の皆さんであった。店のご主人が私の素性を知って「見慣れない顔なので、てっきり愛知から活魚船で買い付けに来る仲買人の従業員と思っていた」とのこと。私もご主人の顔は市場に入札に来るので知っていたが、本職が寿司屋さんだったとは。

 以前は、地元の旅館や料理店は直接入札に参加できなかったが、永富洋一組合長が「自ら入札に参加し選んだ、よりおいしい魚を観光客に味わってもらうことが、島全体の利益になる」と、お得意さまを失う既存の仲買人の反対があったものの開放したとのこと。ふと皆さんが注文した料理を見ると、すべて地元の魚ばかり。さすがに魚種が豊富な答志島だけのことはある。

 帰りに漁師の方が支払いをする姿を見てハッとした。そのお金は最近まで寿司屋さんの財布にあり、その後、漁師の財布に移動し、再びお寿司屋さんの財布に戻った瞬間ではないかと。まさに経済の原点「お金の循環」の現場に出会えたのである。魚さえあれば、このお金の循環は未来永劫途切れることはなく、島の経済を支えていく。こんな安定した経済はない。一方、都会の回転寿司チェーン店では輸入魚がほとんど。自由貿易促進論者には理想とする姿であろうが、このようなやり方が日本経済の安定につながるのかと、あの場面を経験すると直感的に疑問がわく。

 離島の生活は確かに不便である。しかし、その不便さゆえに島にあるものを食べ、相互依存で生きていかざるを得ない。だからこそお金が流出せず島内で循環する。もし、あの寿司屋のネタが全部輸入魚だったら、漁師は魚を買ってもらえず貧乏に、寿司屋もお客が来ず貧乏に。間違いなく島に住める人の数は減る。江戸時代、ほぼ鎖国の状態で3000万人の人口を支えたのは、日本人の勤勉性といわれているが、逆説的にいえば島国であったゆえかも。