「セリ」は分らん

2016年6月10日

 答志市場の手伝いを始めてそろそろ1年がたとうとしている。市場ではその日ごとに水揚げする船の隻数、時間帯、魚の種類などが違う。初めはその違いすら気が付かなかったが、それに気付いてその理由が分かると、なるほど今日はこうだったから、こうなんだと大体分かってくる。

 しかし、毎日横で見ているのに「セリ」だけは今もってさっぱり分からない。答志市場では一日4回セリを行うが、中でも昼すぎから始まる活魚のセリがいちばん活気があり、見学者もそれを知ってか、その時間帯に集まる。ほかの市場もよく知っている人が言うには「答志のセリのスピードは全然違う」とのこと。それだけ答志は魚が多く、離島ゆえに出荷に間に合わなくなるからか。

 20人を超える仲買人が小さな板にチョークでなぐり書きした数字の中から、職員が一瞬の目の動きでいちばん高い札の名を呼び上げるのは見事。慣れていない時には一つひとつ見るが、上達すると想定されるその日の価格を頭に入れておき、高い札のみが目に入ってくるようになるらしい。これは宮本武蔵の「五輪書」の観(かん)と見(けん)の2つの目付に通じる達人の域の技と思う。

 私の関心は価格の高低と、どの仲買人が高い札を入れたかなどであるが、早すぎて聞き取れず、聞き取れたとしても高いか安いかの判断すらできない。時々仲買人が急に笑ったり、悔しそうな顔をしたりするのを見るのは面白いが、なぜかは分からない。

 ある仲買人は、大きな活魚業者に依頼されセリに参加しているが「高い値段で買うとこんな魚売れるか!と怒られるし、高いから買わないと売る魚がないじゃないか!と怒られる」とぼやき、満足できる日は少ないそうである。サミットの期間中は交通規制の関係で明らかに価格が下がったが、なぜか規制が続いていたのに最終日の価格は前日の2倍近くに跳ね上がった。

 SNSの発達で全国の情報が簡単迅速に手に入る時代となったが、いまだ「活魚に相場なし」という分からない世界である。