[9]牡蛎・柿交換

2014年2月28日

 週に1度の買い物の熊野の漁村では、近所の皆さんからの差し入れは大変ありがたかった。例えば、タマネギはサルの被害もないためか、あちこちから頂き、初めの半年間、全く買わずにすんだ。特にすぐ下に住むおばあさんには、大変気にかけてもらい、山の畑で作るトマトやキュウリなどを収穫するたびに頂いた。私も漁で掛かった魚をお返しした。この自分で作った物の交換を1次交換とすれば、よそから頂いた物をおすそ分けする2次交換もある。おばあさんからは、隣の漁村に住む友だちが作ったという絶品のトコロテンなどを頂き、私はよそから頂いた伊勢湾産のノリをお分けした。よそ者の私でもこれだけあったので、おそらく漁村の中ではこの「交換」や「おすそ分け」が網の目のように行われ、現金収入が少なく、買い物が不便な漁村生活を支えるために、大いに役立っていると感じた。

 しかし、感心するのは早かった。鳥羽においての物々交換は、熊野の比ではなかった。カキむきが始まってしばらくたったころ、コメ、野菜、柿、伊勢イモなどを満載した軽トラックがカキむき部屋の前に停車した。農業をしている知人が、毎年このころになると複数回、来られるらしい。また別の方は、自分で狩猟したイノシシの肉を持って来られた。実りの秋の山彦と海彦の間での、出荷になじまない規格外品を主体とした交換である。おかげで私は、この秋は一度も柿を買わないまま「牡蛎・柿交換」の恩恵に浴した。もちろん、互いに食べきれない量なので、多くは二次交換へと流れ、農村地帯の人々も「サトウの切れ牡蛎」を腹いっぱい堪能されたであろう。

 物は豊富にあるが、金がなければ何も手に入らない都会生活者がこの光景を見れば、何を考えるだろうか。物々交換など原始時代のことを思っても、財政破綻やハイパーインフレで貨幣の信用が失われた時の、物々交換=漁村・農村社会のもつ潜在的強さは否定できないだろう。むしろ気づかされるのは、貨幣の信用を破壊しかねない政策を自ら推進している、モノをもたない都会生活者の脆弱さではないだろうか。