[17]灯台下暗し

2014年6月27日

 毎月JF熊野漁協の理事会に出席し業績を見ているが、4月以降の直販店の売り上げが急増した。その訳を聞くと、新しい魚市場が完成し、空いた旧市場でセリ落としたばかりの新鮮な魚を地元住民に対し1時間弱の間で、販売し始めたためであった。

 移動販売を本格的に行っている漁協の方に聞いてはいたが、「魚がいちばん売れるところは漁師町」という意外さに、今更ながら驚いた。本所のある遊木浦の人口は約400人。ざっと計算してみると住民1人当たりの売り上げは月2000円、年2万4000円にもなる。仮に全国民に引き延ばすと、ななんと3兆円である。

 漁師町といえども魚屋はとっくの前になくなった。目の前で魚が揚がっているとはいえ、個別販売は市場業務の支障にもなり遠慮してもらっていた。そこにこんなにも大きな需要が眠っていたのである。それにしてもなぜ漁師町でこんなに魚が売れるのだろうか。

 自ら住んだうえでの推測であるが、何といっても皆さん魚のおいしさを知っているのがいちばんであろう。次に漁師といえども自分で獲ったり養殖している魚は限られており、毎日そればかり食べるわけにもいかない。だから魚を売りに来ると買うのだろう。それにしても、魚が安い、売れない、などと不満を言いながら、実は自分の足元すらよく見ていなかったと、深く反省させられた出来事であった。

 熊野にいたころ、大分県の山間部にある児童福祉施設の子供たちが夏休みに遊びに来た。定置で獲れた魚を刺身やバーベキューで食べさせたが、山の子供たちには初めて見る魚ばかりであったのに、鮮度がよいためか、まーよく食べる食べる。消費者の「魚離れ」が年々進んでいるというが、日本人の魚好きはしっかりとDNAに刻み込まれていると再認識させられた光景であった。

 私の中で大きなジレンマがある。それは、水産物の輸出促進。わが国の漁業者を苦しめている最大の要因は、輸入水産物。にもかかわらず、今度は外国の漁業者を同じ目に合わせてよいのか。日本という足元を見つめ直すことで、需要を復活できないかと思う。