[1]伊勢エビ漁と勤勉性

2013年1月25日

 三重といえば伊勢。その伊勢エビ漁が10月、解禁された。伊勢エビ用の真っ赤な刺網が「ハセ」と呼ばれる竿につるされている風景は、漁港に彩りを与えきれい。しかし、実際の伊勢エビ漁は、夕方投網、夜中に揚網、朝方まで藻はずし、昼は破網の修理と、昼夜なく大変な作業。筋肉痛と睡眠不足が闇夜の前後20日間延々と続く。私も水産庁で相当ハードな勤務の経験があるが、ここまで大変ではなかった。まるで大学時代の空手部合宿と法律改正国会審議前夜の答弁作成作業が一緒に続くようだ。
 しかも、夜間、波が砕ける岩場付近での揚網作業は危険だ。甫母は小さな漁村だが過去4人も死亡事故があった。昼間の網修理中に睡魔に襲われ、手に持ったハサミで顔を傷つける人もいる。

 エビ漁は基本的に夫婦2人の仕事。家庭の仕事も抱えたご婦人方の負担は相当なもの。20日間で体重が3、4?減ることもあるという。60を過ぎた女性の平均体重を考えれば、厳しさが想像できる。満足に食事の支度もできないことも理由の1つで、私がお世話になっている片岡さんの家では、ご飯に納豆だけの食事が続くときもあるらしい。伊勢エビ漁が主な収入源となっているとはいえ、食事もまともにとらず働いている皆さんの姿に接すると、頭が下がる。

 驚くのはまだはやい。今は採算が合わなくてやめたが、昔は同じ時期にミカン山の世話もしていたという。シケでエビ漁が休みの時にも、片岡さんの奥さんはミカン山の跡地へ自家用の野菜作りに出かける。「本当によく働きますね」というと「義母に比べればまだまだ」だそうである。
 現場で漁業者と共に働いてみると、第1次産業は食料だけでなく、日本人の勤勉性を育ててきた土壌そのものではないかと思う。とすれば、地域の1次産業を衰退させる今の日本に未来はあるのだろうか?

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 佐藤力生(さとう・りきお)氏略歴:大分県出身、東京水産大卒後、水産庁入庁。在モスクワ日本大使館ほか、資源管理、漁業調整、水産経営など主に行政側から地方現場を指導する仕事に関わった。昨年3月水産庁退職。漁業現場に飛び込む。衰退産業といわれる水産業の立て直しに、できることは何かを模索中の61歳。